「僕が東京から戻って、おふくろの面倒を見るよ」
実家で兄ちゃんと2人で話した時に、僕から発した言葉だ。

母親は85歳を超えていたが、自分のことは自分で何でも出来たし、
僕が帰省すると、いつも美味しいご馳走を作ってくれてさえした。

そんな母親に対して、なぜそんな話になったかというと、
「わしが最後の面倒を見る!」
と、兄ちゃんが頑なに言い始めたからだ。
本当はまだ自分のやりたい商売があったのだが、
それをあきらめて母親と一緒に過ごそうとしていたからだ。

僕の言葉を否定して、
「いいや、わしが見るけん。気にするな」
母親の面倒を見ることにこだわっているようだった。
そこまで言うなら。と、僕はその先の言葉を飲み込んだ。

ある時兄ちゃんが、かにを食べたいと言い始め、
鳥取県の三朝温泉へ母親と3人で車で出かけることになった。
前の年には伊勢神宮にお参りしたいという母親の願いを叶えた兄ちゃんは、
今度は母親に温泉と、かに三昧を味合わせたかったのだろう。

瀬戸内から内陸の山々を越えて日本海にたどり着き、
道に迷いながらようやく旅館に到着した。
川のそばに立つ古い構えの旅館は、かに料理で有名な老舗だった。

部屋でしばらくゆっくりした後、夕ご飯を個室でいただくことになった。
たくさんのご馳走が運ばれてきて、母親は嬉しそうに、
「美味しいね」
と言いながら箸を進めたが、海鮮好きなはずなのにたくさんは食べられず、
ほとんどのかにを残してしまった。

母親は数年前に転んで大腿骨を骨折していた。
自分で歩けはするけど、時々松葉杖を使ったりと、足取りはぎこちなかった。

女手のない僕たち兄弟では、母親を大浴場へ連れて行けず、
部屋風呂がある旅館を選ぶことになった。
母親は部屋風呂を気に入って、何度も入ったようだ。

翌日、旅館を後にして実家に帰宅途中、サービスエリアに寄った。
兄ちゃんはいつも母親と一緒で疲れているだろうから、
僕が母親を一緒に連れ添って歩こうと思っていた。

「お母ちゃん、わしの肩に手を置きんさい」
すぐに車の後部座席を開け、兄ちゃんが母親に付き添った。
その甲斐甲斐しさにおそれいった。
母親を思う彼の気持ちには特別なものがあるのだと感じた。
僕はそこに入って行けない気持ちにさえなった。

遠く離れた場所に住んでいる僕は、
母親のことを思い出しては、してあげられることを思い巡らせていたし、
何を一番喜ぶだろうと考えていた。

ただ母親は、兄ちゃんと一緒に流れていく日常が生活のすべてで、
今はそれ以上のことを考える必要はないんだろうと思えた。

同じ親子でも縁の深さみたいなものがあるんだと思え、
僕は、僕にしか出来ないことををやるだけ。
それが母親との縁を受け止めるということだろう。

目次