見送るという作業

おふくろが危篤じゃ!

兄ちゃんから電話が入ったのは、年の暮れの取引先への挨拶回りが終わった時だった。
入院先から実家に戻って2ケ月ほど経過したタイミングだった。
母親が自宅から救急搬送され、危篤状態であると知らされた。

入院先は市内から少し離れた瀬戸内海の島の病院で、
そちらの医師からは後1週間ほどではないかと兄は告げられていた。
僕はどうしても片づけないといけない問題が頭をよぎって逡巡していると、
兄ちゃんが、
「今、来んと間に合わんかもしれん」
と言われ、すぐに戻ると伝えた。

母親は、目の前にすぐ海が見える島の病院に入院していた。
今回は個室なので、危篤の母を見舞う家族からするとありがたい状況だった。
逆に病院の配慮だったとすると、そこまで差し迫っているのかと勘ぐってしまった。

母親は酸素吸入器をつけ、酸素濃度は以前の3倍濃度だそうで、
左手にはパルスオキシメーターを装着し、
半分眠るような半分起きているような、どちらとも取れる状態だった。

「おかあちゃん、来たよ」
兄ちゃんが右手を握って声をかける。
僕も左手と左手首を持って黙って母親を見つめていたら、

「あたたかい」
と一言。僕が来たのが分かった様子だった。

「すまんねえ、遠くまで。。」
こんな時まで気兼ねしている。
僕は大丈夫、大丈夫とつぶやいた。

涙があふれて、どんどんあふれて、手を放して病室の窓際へ行った。

パルスオキシメーターは70から80くらいを行ったり来たりしていた。
先生が病室に入って来られ、
パルスオキシメーターを痛そうにする母を見て、それをそっと外された。
医療機器に心拍数、血中酸素濃度、血圧と3つデジタル表示されているが、
真ん中の数値が消えた。そして時々、ビーッという音が病室内に響き渡った。

「呼吸が弱くなっているので、少しずつ意識が遠くなっていくと思います」
と説明された。

兄は母親の手を握りつつも、ビーッと言う音に顔をあげ、
「びっくりするわ。」
と機器を見つめていた。

夕方いくつか用事をこなすため、病室を後にすることにした。
これが息子たちでなく娘だったら、ずっと母親のそばにいて、
声をかけ続けるんだろうなと考えてしまっていた。
そこにずっと息子兄弟がいてもあまり役に立てそうにもなかった。

「また来るね」
手を握り、母親はうんうんと頷いて笑おうとしていた。

次の日も兄ちゃんの車で島の病院へ見舞に向かった。
母親は相変わらずの姿で、時々胸の辺りをビクビクと反発させている。
心臓が暴れているのだろう。
こんなふうに不規則な反応を繰り返して、
どこかで止まるのかもしれないという想像をしてしまう。

母親は手に力をこめて、
息子たちふたりの手を握り、時々起き上がろうとする。
「おお」
力が強い。と私は言いながら手を握り返した。

トイレに行こうと起き上がろうとしているのだ。
もちろんおむつをしているので、そのまま寝た状態でしてもよいのだが、
これまでずっと自分で出来ていた母親からすると、
どうしても起きて用を足したいのだ。

「そのまましんさい」
兄ちゃんが耳の遠い母親に大声で話しかける。
それでも許せないのか、起き上がろうとする。
余命いくばくもない母親だが、強いな。と感じた。

夜になり実家へ戻ることにした。
買い物をして夕飯の準備をしていたところ、
兄ちゃんが、
「病院へすぐに来い。言われた」
声を張り上げた。

意識が無くなる直前なので、話が出来るのは最後かもしれない。と、
医師が電話をくれたようだった。
その医師にも同じく心不全で入院しているお母さまがおられるそうで、
先生も我々兄弟と同じ年恰好だった。

「うちのお母ちゃんを自分の母親のように感じとるんかもしれん」
兄ちゃんはこの先生に信頼を寄せているようだ。
僕たちはその日2回目の病院へ急いだ。

目次