僕は大学卒業を控え、就職は海外の仕事を希望していた。日本の大学を休学して
アメリカへ短期留学していたので、日本に帰国するのが10月になった。
そのことで就職活動が遅れに遅れ、ヤキモキした父親は怒り心頭だったそうだ。
何とかギリギリセーフで東京の商社に入社することができた。
海外に出かけていくイメージを膨らませて入社したのだが、配属先は管理部門だった。
その落胆といったら言葉では言い表せないほどだった。
情報システム部というコンピュータを扱う部門へ3人の新人とともに配属された。
僕はコンピュータを触ったこともなければ大学で専攻したわけでもなく、まったくの
門外漢だった。他の3人も同じレベルだったが、ちょうどマイクロソフトの日本法人が
設立された頃で、世間ではまだワープロとパソコンの区別すらつかない時代だった。
情報システム部はコンピュータを専門に取り扱うセクションとして、商社の社内システム
を設計・開発したり、運営を司る部門だ。すでに30年近くの歴史があり、
すべて彼らが開発したシステムで会社は動いていた。
そこで働く人たちは、僕が見てきた古い時代の人とは少し違って見えた。
ナイーブで繊細で、時々時代の余韻として男らしさが顔を出す。といった微妙なバランス
を保った人たちだったように思う。
入社1年目の僕は大手コンピュータ会社が主催する、今でいうプログラミングの研修に会社
の予算で参加した。社内では新人1人に2人の教育係がおり、手厚く教育を受けながら、
実際のプログラムを開発する仕事に向き合っていた。
社会人になれば何か大きなことが成し遂げられるのではないかと、ダイナミックな期待が
あったが、日々の細かな仕事にギャップを感じながら毎日は過ぎていった。
最初の1,2年は心ここにあらず。といった感じで、いつも何か空想をめぐらし、集中力の
ない仕事を続ける毎日だった。僕の教育係は鹿児島出身の頭のキレる、性格キツめの上司だ。
4人の新入社員の教育係が集まり、それぞれ新人の評価を話し合ったそうで、
僕の教育係は、
「あいつは大陸的なヤツだ」
と言っていたそうで、遠まわしに鈍いと言いたかったのかもしれない。
とはいえ教育係の上司や他の先輩たちとの関係性はよく、仲良く飲みに行き、
気のいいやつとして立ち回りは出来ていた。
もちろん僕は会社に真面目に出社し、遅刻、欠勤はゼロ。ただ何か目標を失ったまま
毎日が経過していき、何を目標に生きていくのかまったく定まらない時間を過ごしていた。