「大事なデータを積んでいるので、安全運転で行く」
と言いながら、十分飛ばしていると思うけど。。100mほど先の上りのカーブで暴走車が
スピンして止まっていた。
「頼むぜ、邪魔するなよ」
長門さんは、僕たちの方を向いて止まった黒いスポーツカーの横をゆっくりかわして通り過ぎた。
インテリジェントビルの駐車場に車を止めた。
「走るぞ!」
長門さんは両手にアタッシュケースを持ち、長髪をなびかせながら走り始めた。僕も両手に
アタッシュケースをぶら下げ、その背中を追った。データのロードにはタイムスケジュール
があり、その時間まであと20分ほどだった。
何とかデータの戻し作業は完了し、新しいマシンルームでのシステム稼働準備は順調に進
んでいた。朝になって昼間の作業を担当するメンバーが数名出社してきた。僕たちは、
当日のお昼くらいまでにシステム環境面の準備作業はほとんど完了させることが出来た。
その後は、全国の支社や支店のネットワーク切り替え作業が始まるため、僕は夜まで休ん
でいいと言われ、16階のオフィスルームのソファーで休憩した。長門さんはネットワーク
切り替えの責任者でもあるため、午後から先頭に立って指揮を執らなければならない。
【この人、どこまで働くの!!】
僕はどうにか、この人を助けられるようになりたい。と考えるようになった。
翌日は月曜日、全社員が出社してシステムを利用する。それまでにすべてのシステムは
正常動作できる状態にセットアップが完了した。
システムルーム、いわゆる現在のデータセンターの社内版。システム拠点の移転が完了
し、僕たちの勤務先も川崎に変更になった。これまでは社内システムの開発や保守に
携わることが多かったが、それ以降は本格的に、外部の顧客向けにシステムを開発、
提供する業務に完全に切り替わった。
社内システムの仕事も残業が多く、会社を出るのは夜9時とか10時だったが外部顧客の仕
事をするようになって、納期がもっとシビアになり、その日に帰れることはだんだんなく
なってきた。休日出勤も多くなり、今でいうブラック企業だったかもしれないが、
当の社員は楽しく仕事をしていた。特に長門さんの持っている能力に近づきたかったし、
どんどん吸収している時期だったと思う。
情報子会社の社長は、本社企画部門からやってきた元情報システム部長の十兵衛さん。
出世を信条としているザ・サラリーマンの典型だった。若い部下から慕われることはあま
りなく、反動で長門さんを本当に大事にしていたし、それが業績を上げる秘訣だったと言ってもいい。
僕らが仕事をしている姿を横目に、「お疲れさん」と言いながら、飲みに出かけるのだった。
先輩社員のひとりが、こう評した。
「無理させて、無理するな。と無理をいう」