苦いジュースと太陽の笑顔

僕は小学3年生の時に腎臓の病気にかかり、
1ケ月ほどの入院生活を終えて自宅に帰ってきた。
運動禁止、絶対安静、塩分食禁止、力が入ろうはずもない。
フラフラするなと思ったらひどい貧血だった。
慢性腎炎は貧血を起こすことが多いらしい。

塩分が取れない中、貧血を治すため、
母親は毎日、野菜ジュースを作りはじめた。
人参、小松菜、ケール、よもぎなどをミキサーにかけ、
毎朝飲まされたが、あまりにマズイため、リンゴを少し加えてもらった。

3つ上の兄ちゃんも、父もこのジュースの味を知ってか、見向きもしなかった。
野菜ジュースは、その後、普通食が回復するまで2年程度以上続いた。
今でいうスムージーだが、優雅さとはほど遠く、
忍耐を伴う苦渋のジュースに慣れることはなかった。

思えば母親は忙しい中でも手の込んだ料理をよく作っていた。
家を新築し、家族4人が希望に向かっていると感じられていたのだろう。

その矢先に僕が病気でつまずいたため、どうにか健康を取り戻そうと、
全力を注いでくれた。
「しっかり食べんさい」
母親は太陽のように明るく、笑顔が絶えない人だった。

母親は父より5歳年上で、見合いの話はたくさんあったらしいが、
身近にはいないインテリっぽい父のことが気に入ったようだ。
母親の両親は、なぜあんな貧乏な男と結婚するのか?
と何度も問いただしたそうだ。

父は結婚したての頃、町の電気屋に勤めており、
ペンチやドライバーを突き刺した腰ベルトを巻いて、
電柱に上って作業をするのが仕事だったらしい。

その後、父は大きなガスボンベ会社の設計の仕事に転職した。
自宅から電車で10分ほどの近さに通勤していたが、
毎日決まった時間に出社し、決まった時間に帰宅した。
父は家族に規律と推進力を与える存在であったが、
あまり体が強くなく、度々いろんな病気で倒れた。
最後はガンで他界した。

母親は人一倍働き者だったし、家事全般をこなし、傍らで内職をして家計を支えた。
「お父さんと一緒になった頃は、貧乏のどん底で何も無かった」
「今は信じられんくらい幸せ」
時々そんな言葉を口にした。
父が亡くなった後、母親が家族の大黒柱になった。

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