ブルーワーカーの代償

僕の母親の兄妹は12人という大人数。
母親は下から2番目だ。
長男は戦死し、姉妹の多くは大阪で暮らしていたが、
僕の家の近所には、猟銃のおじさんと、
母親のひとつ上の姉に当たるトシノおばさんがいる。

トシノおばさんは時々僕のうちに来て、母親と世間話をするのがお決まりだった。
母親が 【トシねえ】 と呼ぶので、
「トシねえは来ないの?」
と、僕もマネして本人の前以外で使うようになった。

母親が言うには、トシねえは美人で有名だったらしい。
確かにその面影はある。
でも僕はトシねえの優しいところが好きだった。
今から思うと、トシねえは多少内向的なところがあり、
僕の母親にも少し遠慮がちに振る舞っていたように感じる。

当時僕には欲しいものがあった。
今は差別用語のようにも聞こえるが、
筋肉増強トレーニング器具、『ブルーワーカー』という商品に心奪われていた。
誕生日祝いに買ってほしいと母親にねだっていたことがある。

トシねえは、母親の頑なな態度を見て、
「いい子にしたら、買ってあげてもええよ」
母親は絶対にダメ。と突っぱねるのだった。

しばらくトシねえの顔を見ない日々が続いた頃、
母親が深刻な顔をして父に話していた内容は、
「トシねえさんが、肺ガンに罹り入院することになった」
苦しそうに声を絞り出した。

その頃、ガンは外科手術するものという固定観念があったように思う。
トシねえには、怖い思いをするくらいなら手術を回避したそうな雰囲気があった。
でも周りはガンを治すには手術しかないと、迫ったように見えた。

聞いた手術の内容は、胸を切開し、肋骨を数本切りとり、
そこから肺の腫瘍を切除するという途方もない大手術だった。
トシねえは、周りに迫られるように手術をすることにした。

手術の日にそばに居たわけではないので、
詳しくはわからないが、手術は成功したと聞こえてきた。


トシねえをお見舞いに行くと、
「これって、手術が成功した患者なのか??」
と思うくらい、声も出ないほど衰弱しきっていた。
少し背中を曲げて下を向いているトシねえは、
いつもより小さく、不憫でたまらなかった。

またしばらくして見舞いに行った時、
トシねえは小声で、
「これでブルーワーカーを買いんさい。」
と2万円渡してくれた。
こんなに自分が辛い状況に置かれて、そんなこと覚えていてくれたんだ。。
その場で涙があふれてきた。

トシねえは数ヶ月後に亡くなった。
もっと痛くない、心安らかな終わり方があったんじゃないか。。
思い返すと、優しくしてくれた思い出しかない。

母親から、トシねえの旦那さんや息子で相当苦労したらしい。と聞いた。
「あんたら、もっと優しくしてやれよ!」
僕がもっと優しくしてあげれば良かった。

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